2014年シーズンを振り返って~フロントと監督編~

選手の編成にどの程度監督とかの現場の意向が反映されているのか、クラブによって異なるのでしょうが、我等が清水エスパルスの場合どうなっているのか気になります。

選手編成

残留争いを繰り広げる中で強く感じたことは選手編成が偏っているということでした。

  • ノヴァコヴィッチ(と長沢)が抜けただけで露わになる高さ不足
  • 水を運ぶ選手が少ない

ここらへんを考えると、選手編成の主導権はフロントが握っているのかなと思います。明らかなテクニック重視であり、反面、守備や高さを含めたフィジカル軽視です。率直に言って、清水のサッカーはかくあるべしという呪縛に囚われているのではないかと感じています。そしてテクニック重視と言っても、現状ではその面だけを見てもJ1のトップレベルの選手たちではないので、単に戦えないみたいな試合も結構あったと思います。
攻めるためには、ボールを保持する必要があります。そのためには相手からボールを奪うか、相手のミスを待つしかありません。ゴトビ前監督は後者を重視していましたが、大榎監督は前から奪う守備を志向していようです。そのためには戦術の整備はもちろん、個人個人が球際の激しさや守備力・運動量の向上が不可欠ですが、それはチーム編成にマッチしているのでしょうか?信じて応援するしかないのですが、正直不安を感じてしまいます。

今期の補強は結構進んでいますが、補強ポイントは第一にGK、第二に高さと考えていました。GKの方は、ある程度の補強が出来たと感じています。次は高さを補強をして欲しいと思います。

メンタルトレーニング

ゴトビ前監督がたびたび指摘したメンタルの弱さですが、これは多くの人が感じていることだと思います。試合ごとの・時間帯ごとの浮き沈みが激し過ぎました。
そしてこれはゴトビ前監督の問題の一つだと思いますが、結局、3年半の中でそれを改善することは出来ませんでした。おそらく、以下を満たす人材がいなかったのでしょう。

  • ゴトビと密にコミュニケートできる
  • ゴトビと信頼関係が成立している
  • 日本語ができる or 日本人

しかし現在は監督が変わり、状況もかわりました。村田和哉という身近な成功例もいます。これにも費用がかかるのですが、メンタルトレーナーの招聘とメンタルトレーニングをクラブとして導入して欲しいと思います。
メンタリティというと真っ先に思い浮かぶのが根性だったりしますし、根性は大事ですが、根性ってパッシブなんですね。辛い時に頑張る力の一つでしか無い。村田のブログを読むと、正しい現状認識・試合や練習に挑む際の心の有り様・自分の目指すべき姿など、メンタルトレーニングがポジティブに人をかき立てるものを含んでいることがわかります。
クラブとして導入しないとしても、村田の姿を見て多くの選手が何かを感じ取って欲しいと思います。

2014年シーズンを振り返って~フロント編~

辛いシーズン、でも最低限の結果は残せたシーズンでした。
多くの関係者が発言していますが、この経験を無にしないこと、少しでも気を抜いたら来期も残留争いに巻き込まれてしまうと思います。
今シーズン、応援していて感じたことを何回かに分けて書いていこうと思います。

というわけで第一弾のフロント編です。

監督交代

(残留争いに巻き込まれたというのは事象なので除外して)今シーズンのもっとも大きなトピックスは、シーズン途中での監督交代でしょう。
しかし未だによくわからないことが多い交代劇でした。

  • (新監督の戦術を浸透させる時間が確保できる)ワールドカップ中断期間前の交代でなかったこと
  • シーズンベストの(と個人的には思っている)柏戦の勝利の後だったこと
  • 順位的には12位と降格圏ではなかったこと(ただし、16位とは勝ち点3差。8位とも3差)

結局、単純な成績的なことではなく、以下の事柄を加味しての交代劇だったのではないかと思います。

  • ピッチ上の出来事ではなく、オフザピッチの出来事
  • 2011年以降、右肩下がりの観客動員数

いずれにせよ不可解なタイミングが残留争いを招いた最大の要因だったと思います。見極めが甘かったとも言えますし、最終的には残留したのですからギリギリを見切ったとも言えるのでしょう。
個人的にはそのタイミングや夏の補強からフロントはここまでの事態を想定していなかったのではないかと想像していますし、J1を舐めていたと感じています。それ故に残留争いの大きな責任はフロントが負うべきだと考えています。

育成型クラブ

育成型クラブというのは最低限以下の要素を満たしていると考えています。

  1. 下部組織から優秀な選手を輩出すること
  2. 下部組織を始めとする若手選手を、Jの舞台で育てるチーム編成のサイクルを確立すること
  3. 成長した選手を高値で売り払うこと

これらを振り返ると今の清水は育成型クラブと名乗れないと思います。
そして清水が資金的に限界があるチームであることは百も承知ですが、育成型クラブというのは貧乏を糊塗する言葉では無いはずです。
育成という面に関して言えば知恵を振り絞るだけでは足りなくて、サッカー界の知識・メソッド・情報の収拾や、どれだけの人脈を有しているのかなどが問われていくのでしょう。素人はやれレイモンド理論だ、やれアスリーツパフォーマンスだの気楽に言えますが、実際に導入するかの判断、それに精通している人材の確保、その人材・環境を整えるための費用の捻出など、超えるべきハードルはどれも高いのはわかります。ただ、ハードルが高いと言って何もしないが許されないのですよねぇ。

少なくともユース年代の食生活は見直して欲しいと思います。お金がかかりますけれど、清水の下部組織で育った選手が仮にプロになれなかったとしても健康的な生活を送れるということは、彼らが精神的に強い・礼儀正しいということと同じぐらい素晴らしいことだと思います。

資金

お金は大事であるということは、言い過ぎるということはないと思います。そして我等が清水は貧乏です。このお金を増やして欲しいですね。
残留がかかった今期最終戦・甲府戦における静岡県内の最高視聴率は25%を、占有率は40%を超えたと聞いています。多くの人が清水のことを気にしているのは嬉しくもありますが、それが動員になかなか結びつかないのはもどかしいですね(って、関東在住であまり日本平に行けない自分が言うのもなんですが)。
大きな話で言うと、やはり新スタジアムの建設でしょう。日本平は臨場感やピッチは最高ですが、J1ライセンスを満たしておりませんので移転話が持ち上がっています。とにかくアクセスの良いところに移って欲しいです。そして新スタジアム建設のためには行政への働きかけを始めとして、クラブがやらなければならないことは多いはずです。

あと、大口のスポンサーはさておき、ここ数シーズン小口で多くのスポンサーが付いてくださっています(ありがとうございます&お疲れ様です)。
そのスポンサー様たちにどういう利益還元ができているのか?あるいは感謝を伝えられているのか?というのは気になっています。

契約しない選手

Jリーグの抱える問題の一つは0円移籍でしょう。今期も高木俊幸が浦和に0円で移籍することが発表されました。
クラブ目線で言うと契約システムが世界標準になったことは今のところ更なる弱肉強食しか招いていません。どうすればこれは防げるのでしょうか?お金がない清水もJ2・J3から見ればビッグクラブな訳で、クラブ間で歩調を合わせるということは難しいと思います。
思いつくのは、

  • 契約状況(期間・条件・交渉)をオープンにする
  • 契約更新をしない選手は使わない

といったことですが、1つ目の話は何故オープンにしないのでしょうね?少なくとも代理人・クラブ間は筒抜けだと思うのですが。正確な状況が分からない現状ですと、少なくともファンが選手に残ってくれという場が作りづらく、それは悲しいです。
また、最近のシーズンを見ていると、2つ目の「契約更新をしない選手は使わない」という方向に舵を切ったように思っていたのですが、俊をシーズン後半も使ったのは残念でした。残留争いの最中、背に腹を変えられないというものであったらいいのですが、単に監督主導でそうなっていただけでは困るなと思います。

ただ、そもそも契約更新をするためには原資が必要で、その見通しが立たない状況だったりすると契約更新をしたくても出来なかったりするわけで、つくづく貧乏が憎い今日この頃です。

最後に

思いついたことを連々と書いていたら、ホント、クラブ運営は地獄だぜ!って思いました。エールを贈りたいです。フロント・スタッフの皆さん、超頑張れ!

静岡/清水のサッカー

今シーズン、監督交代や残留争いをしている最中で、静岡のサッカー、清水のサッカー(以下、「清水のサッカー」とします)という言葉を時折聞きました。
これらの言葉は何を指しているのでしょうか?最大公約数的な何かが存在するのでしょうか?
大榎監督の言葉で「ボールも人も動く攻撃的なサッカー」という言葉がありましたが、これも「清水のサッカー」を指す言葉なのでしょうか?

自分の中で、「清水のサッカー」という言葉から連想されるのは、高校サッカーで清水商業・清水東・東海第一などが強かった頃を連想してしまいます。
テクニックに秀でていて、フィジカルでも九州の強豪に引けをとるわけでもなく、相手を常に圧倒していたイメージが残っています。負けるとしたらPK戦やカウンターからの一発逆転しかないというそんな印象があります。スタイル云々以前に個人個人が相手を上回っていたという印象なのです。
単に個人で圧倒していたから、ボールを保持する時間が長かったというのは、スタイルではなくて、単に戦力で圧倒していただけですよね。
もし、清水エスパルスがそんなチームであったら、もちろん僕は嬉しいですし、多くの人が支持するでしょうが、悲しいかな我がクラブの財政的にはそれは無理ですし、育成年代だけを見ても、圧倒的に全国を制するなんてことはなかなかできることではありません。

何故、自分がこの「清水のサッカー」という言葉を気にしているかと言いますと、なんとなくそれを清水エスパルスに強いているファン・関係者の方が多いのかなと感じているからです。
もし「清水のサッカー」が清水が最もリーグ制覇に近づいたアルディレスの頃のようにサイドアタックを重視しましょうなどであれば問題ないと思います。ただ、もし強かりし頃の清水の高校サッカーのように、あるいはJリーグ創成期の頃のように、そもそも戦力が圧倒的に揃っていることを前提とした言葉であれば、それは現実と乖離した意見だと思いますし、単なるノスタルジーだと思うのです。そしてそれは、現状の改善には与しないでしょう(念のため断っておきますが、資金が限られた中でテクニックやフィジカル・戦術を向上させていくのは当然のことです)。

大榎監督の「ボールも人も動く攻撃的なサッカー」というのは、正直、今シーズンの戦いぶりからは見えませんでした。それだけに不安も大きいのですが、どんなサッカーを見せてくれるのか楽しみに来シーズンの開幕を待ちたいと思います。